発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年 感想

発達障害
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発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年 松永正訓

教育とは自分の楽しい趣味を見つけることである。

しかし、大概の事は、楽しいことひとつでは達成できない。楽しいことと辛いことをやって、そして物事は達成する。世界はバランスでできている。しかし、それはうまくいけばの話、辛いことのない世界にいなければならない人間も存在する。

私はそれが発達障害児だと思っている。

本書は自閉症の息子をもつ母親が、色々な人と関わり教育といものの認識が変わっていくルポルタージュである。

発達障害の始まりは、「言葉」である場合が多い。本書でも、息子勇太くんの違和感の始まりは2才を過ぎても出てこない「言葉」だった。

病院を渡り歩き、認めたくない気持ちを抱え、それでも子のために動く強い母が本書にはかかれている。

今発達障害が認知され始めたなかで、気づき診断され、認められるまでが一番辛い時期だろう。

本書を手に取ったのは、私の姉が発達障害(知的なものを含まない)そして、親友の子が自閉症(知的障害を伴う)である診断を受けたばかりだからだ。

私はこの本を読んで、40まで理解されず孤独な道を歩いてきた姉、これから受容し、大変な道だが歩いていくと強かに決意して笑ってくれた強き母の友人にエールと言う形でまとめたい。

この本で私が印象に残ったのは勇太くんが小学6年生になるときに特別養護学校から普通の小学校の養護クラスに転入になったときのエピソードだ。

養護クラスと養護学校と

養護クラスがある学校では、それなりに養護の子を少し気を使うにしても仲間として受け入れてくれる。しかし、養護クラスのない学校の子に勇太くんがいじめられた。

「勇太くんを連れて来てください。謝らせたいのです。」という相手の学校の先生にたいして母親は「勇太を教材にしないでください。」ときっぱりと断った。

つれていくだけでも一苦労なのだ。

このブログで伝えたいことはそれ。

障害がある人は常に健常児の人生を豊かにしてくれる。教科書のような人で、そこをバカにしたらいけない。いや、若いからバカにすることはあるだろう、しかし、今障害児が増えている一方で、別々に教育したり、個々に指導する事がヨシとされている。

今後そうなっていくだろう。今はインターネットもある、人に会わなくても済む時代だ。

だからこそ、知り合うこと、関わらせてもらえることが今健常児を育てている私にはありがたい。

どうでも良いはずの私や、私の子とかかかわってくれてありがとうといつも思っている。

難しい子供をもってそれでも社会と繋がってくれたこういう母親には感謝しかないのだ。

さらに、この本にかいてあるお母さんは助けてくれる人を探し、きちんとsosを出し、強く生きている。そういう強い人は美しい

トイレと動画のエピソードも好きだ。

どんな場所にいってもトイレに興味を持ちデパートの一回から屋上までのトイレ一つ一つを動画にとって回る。

母親にとっては辛い作業かもしれないが、個々まで物事を徹底的にできる人間はそういない。

「totoに勤めれば良いのに」といわれるがトイレの会社に興味があるわけではないし、これがどう使えるかわからない。なんて謙遜されてるが

totoとして、トイレに愛を持っている人の情報を利用できないことの方が間違っている

もっと頑張れ!totoと言うべきで、トイレに愛を持つことを攻めたら絶対いけない。

とりあえずTOTOは画像もらって、マップとか作れば良いじゃないか!写真集とか作れば良いじゃないか!売れない?誰がいったんだよ?大ヒットするかも知れねーだろ?

トイレだって白一色におんなじものにしてないで、各企業絵師さんとかに頼んで、派手なトイレ作りゃ良いんだよ。トイレ回りがエンターテイメントになったら、発達障害のトイレ好きだけじゃなくて、鉄道マニアみたいな一大勢力築けるかもしれないだろ?

もっと企業努力しろ。

トイレに広告料取りゃ良いんだよ。

・・・・・って思ってます。←変な人

生きて生活をするということ

障害児の母親は、健常児の母親よりも長く生きて独立し、生活をするということに直面するのだなと思いました。

現在4才の息子を見ても・・・「ま、どうにかなんだろ。」って思う安心感がずっと生まれないのは、不安で辛いことだろうなと思います。

科学の進歩で近年お金もキャッシュレスになってきましたし、無理をして小銭の計算もしなくて大丈夫になりました。

これからも色々発展していくと思いますが、そこにはきちんと使い基準があってこそ、無理をしないで生活を営むという感覚を持たせるのは一番難しい。

勇太くんや障害児の教育は生きて働くことに独立するということに重点が置かれている。それは健常児の母親だが、羨ましいと思う。

普通に高校に行っても、どれだけ良い大学にいっても、人間は食べて働いて生きていく、その実感は教育の場面では得られない。その他のところでバイトしたり、失敗しないと得られないもの。

健常児というレッテルによって、出来ないことまで要求され心をやむ場合も多くある。人間は多かれ少なかれ不得意がある。

不得意なことをしっかり見つめて、出来ることが少ないながらも認められる。きちんと息子の障害に向き合った母親の子供にはそういう世界が広がっている。それは刹那的であっても。すごいことだと思った。

終わりに

このお母さんは本当に子供のために動いた人で、悩んだ人で、前を向いた人だ。

この本を読んで、今発達障害の子を持つ親で元気付けられたり、心が柔軟になることもあると思う。発達障害に生まれても、そんなに悪くないそう思わせてくれる本書はすごく勉強になった。

つたない感想で申し訳ない。

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