母性を二つに分けて考える
母性という言葉ですべてを縛っていませんか?母親だから仕方ない、子育てをするのは母親、なぜなら母性があるから。母性をひとくくりにしていいように使う時代は終わりにしましょう。
私、GP協会代表三キロ先の先行者は母性というものについて二つの考え方を提示し、分けて考えていくことで、これからの教育について、子育てについて、考えていけたらいいなと思っています。
第一母性
母親が子供を産んで母乳が出ているときです。だっこしていないといけないですし、いつ息が止まってしまう気が気ではなかったり、三時間後とに母乳をあげるため三時間睡眠でも耐えられたりします。私も子供を産んだことがある身です。
子供を産んですぐの必死な気持ちや胸が大きく母乳が出たりするなどの身体の変化は、ホルモンの仕業だったり本能以外のそれではないと思っています。
産後の母親はもうスーパーサイヤ人です。子供との結び付きも強く、簡単には離れられない気持ちになったり涙が出たりします。
しかしそれは正しい支援があってこそ、不安があったり、体調が悪いなどで産後鬱に陥ってしまう場合も多々あります。今、産後鬱に関しても産院で自主的に言わない限りは気づいてもらえなかったり、自覚のない場合もたくさんです。
産後のケアを育児の延長戦ではなく、きちんと医療という分野に持っていくべきと思っています。
第二母性
自立しはじめて、それを構いたいと言うか囲いたいような気持ちです。若い男性アイドルを応援するような気持ちと似ているかもしれません。自分の子供なのでアイドルと一緒にするのとはまた違いますが、しかし生まれたときのような、自分がすべてしてあげなくては生きていけないような責任感や重圧はもうありません。
子供の事を守ってあげたいや、応援してあげたい。そういう気持ちは、父親も母親も変わらないはず。
母性というもので括ってしまうことでもっと過保護になってしまったり幼児の頃からの感覚が抜けずに子供との関係が悪くなってしまう事もあります。
お母さんなんだからはもうやめにしないか
二つの母性は重なってはいますが切り離して話をしなければ、これからも「お母さんなんだから」という言葉に縛られてしまいます。
子供は男の子は5歳女の子は7歳を越えたら、親の立場は5;5になっていかなければ、ならないのです。
理想だよ!って?
子育てや家事、仕事や日々の事、きちんと不満も発言し、対応策を考えていける世の中になることがGP協会のなすべき事だと考えています。
例えば第一母性はなくても第二母性はある場合や第一母性しかないため、子供が大きくなってくると次の子を生んだり放置したくなってしまう人に対していままでは「母親なのに」の一言で終わらせてきました。
これからは母性に対して心理学、行動学、そして医療としてもう少し議論されるべきだと思っています。

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